独り囃子

著者に心療内科を勧めないでください

11月21日 重箱の隅をつついて嫌われてみる

お祭りという言葉、語源は神様を「祀る(まつる)」

行為から来ていると、モノの本で読んだことがあるんだけど

何か信仰する対象、敬う対象があって

それにむけて、例えば、奉納の舞や音楽があったり

詔(みことのり)があったり、儀式があったり

料理を振舞ったり、古くはいけにえを捧げたり

 

信仰や宗教、土着のご利益の為

ほら、豊穣を願う為に、おっきめの放送できない

おティンティーの形をしたご神体を

田んぼに突き刺す奇祭とかまさに、きちんとした意味があって

行っている訳で。 つまり、お祭りの本質からブレてないってことなんです。

 

随分前から思ってることなんだけど

「祀る」から逸脱した、お祭りとかもっというと

フェスて言葉が、もうなんだか溢れちゃってて

意味が太っちゃってるのね。

 

信仰対象や敬うべきもの不在で

本来付帯物であるところの、舞や音楽や料理だけが

一人歩きしたり、また、商業転用によって

お祭りの意味自体が、都合よく変化して

どちらかといえば「催し」「催事」に近いニュアンスで

お祭りという言葉が、多用されていますよね。

 

良い悪い別として、なんでも

商いに結びつけようとする、商魂たくましさを

感じずにはいられませんね。

 

ハロウィンとかブラックフライデーとか

ハロウィンはケルト民族のお祭りだけど

ブラックフライデーは、米国人の小売りの仕掛けを

ただただ、何の考えもなしに輸入しちゃってる

 

悪いとか良いとかじゃなくて

もっと賢くやればいいのにと、常々思っちゃったり。

 

さて、本筋に戻すと

この「祀る」という観点から

見てみると、僕には全く、理解ができないし

凄いパラドクスが生まれる、お祭りがあるんですよ。

 

それが

 

いや、電気街って

秋葉原電気街祭り ね。

電気自体は自然に存在しますけど

利用しているのは人知と技術の結晶だし

さらに、電気製品は人間が作ったものだし

それをメインに据える、街は膨大な人の生業の結晶だし

 

という事で、祀る対象が、人の業になっているわけでして

つまり、この文脈の方程式を解くと

 

人が神であることになる訳なのです。

いい悪いは別として

 

ヤマザキ春のパン祭りに至っては

もう、どうにでもなれと思う訳なのです。

 

今日は下ネタ少なめなので

すかしっ屁しときます。